神功皇后応神天皇平産す
神功皇后は夫(仲哀天皇)にしたがい、熊襲征伐のために筑紫にやってきた。そのとき、天照大神と住吉三神から神託(お告げ)があり、朝鮮半島に遠征するようにもとめられた。
しかし、仲哀天皇はこの神託を信用しなかったために急死した。
この時、神功皇后はすでに身ごもっていた。住吉大神は、神功皇后に対し《仲哀天皇がなしえなかったことを、その胎中の皇子がなす》と神託を下した。
神の御意のまにまに従う神功皇后は、胎内の皇子と共に、朝鮮半島の新羅を攻め、神の助けもあって難なく制圧した。
その後、筑紫の宇美(うみ)にもどって誉田別(ほんだわけ)皇子(のちの応神天皇)を生み、皇子をつれて大和に帰還しようとした。
しかし、仲哀天皇の遺児である香坂(かごさか)王と忍熊(おしくま)王の抵抗をうけ、これと戦うが、制圧に成功。
幼少の皇子にかわり、摂政として政務を代行した。 |