後醍醐天皇隠岐より帰る
元弘の変により天皇は翌元弘2年/正慶元年(1332年)隠岐島に流罪となり、幕府は邦良親王の次に予定されていた持明院統の光厳天皇を替わりに即位させる。
この時期、後醍醐の皇子護良親王、河内国の楠木正成、播磨国の赤松則村(円心)ら反幕勢力が各地で活動していた。
このような情勢の中、後醍醐は元弘3年/正慶2年(1333年)、名和長年ら名和一族の働きで隠岐島から脱出し、伯耆国船上山(現・鳥取県東伯郡琴浦町内)で挙兵する。
これを追討するため幕府から派遣された足利高氏(尊氏)が天皇方に味方して六波羅探題を攻略。
その直後に東国で挙兵した新田義貞は鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡させる。 |