十一御縣座神社

 十一御縣座(とおちのみあがたにます)神社由緒

御祭神 豊受大神

御由緒 御創建代は不詳であるが清和天皇貞觀(西暦859)正月二十七日既に従五位上の神位を授けられたと記録にある。

皇居が大和に在りし時高市葛木十一志貴山辺壮曽布と富國六御縣神社の一座として朝廷の尊崇篤く後醍醐天皇延喜の制に大社に列せられ新年月次新嘗祭には案上に館幣を授かる又古この地方は、朝廷の御料地としてその供養の蔬菜の生育を祈願せられし如く農業の守護神としても広く崇敬をあつめ社頭は殷賑をきわめた。

御神徳 豊受大神さまは伊勢神宮外宮に御鎮座の豊受昆売(トヨウケヒメ)神、保食(ウケモチ)神、食稲魂(ウカノミタマ)神とも申し上げ五穀(稲麦豆栗稗)を育成され日本書紀にはこの神が天照大神に五穀の種子を奉られ天照大神は更にその稲穂を神勅と共に皇孫に授け給うたと伝えられる。
 
  (現地案内板より) 
 本殿正面 
拝殿
本殿右側に祀られています四主神社です。 
天照皇大神
神御皇靈神
高御皇靈神
天之御中主之命 
 
本殿左側に祀られています五主神社です。
 大日靈女貴命
春日大神
廣幡八幡大神
熊野大神
菊理日女命
 
伊勢神宮遥拝所 
 
歌碑に就いて
 
 歌碑に刻まれている一首は続群書從巻四百十七、十市遠忠百番自歌合わせに載っているもので、その意は、香久山の彼方に早や霞がたって明るく見える。

春が十市の里にもやって来たのだ。

どうか今年も平和な春であって欲しいものだ。

という希望を言外にこめた歌です。

とをちの里をひろく十一群全域とうけとると歌のスケールは一層大きくなります。

作者の十市遠忠(1497〜1545)は武人として秀れていただけでなく書家としても一家をなし、学問も深く信仰心のあつい人でした。

殊に歌道においては戦国武将中最高峯のひとりで歌集五巻七百余首が群書類從におさめられ十市氏中興の英主にふさわしい光彩はなっています。
(現地案内板より) 
 
手水者 
 
正面大鳥居 
 
大鳥居の手前右側  記念碑
 
記念碑の右には中殿だんじり小屋があります 
 
神社入り口に池があり大きなカメが何匹も昼寝していました。

逍遥トップページへ