美多彌神社

美多彌神社拝殿
美多弥の宮由緒

往古の事跡悠久にして詳らかならねど醍醐天皇の(約千年前)延喜式神名帳(神社の戸籍)にはすでに式内社として登載せられている。後醍醐天皇の御代には参萬坪を有する広大なる境内には大樹生いしげり堂々たる社にして商工業繁栄の福の神として崇敬者の信仰特に厚く又楠正成一族の守護神でありしが天正年中(約380年前)織田信長の兵火にかゝり御炎上その後文禄元年(約350年前)楠木氏の遺族和田道讃本殿を再建せり。現代の本殿と拝殿は昭和47年改築す。境内の自然林(シリブカガシの森)天然記念物に指定 
                                            石碑より
白天龍王大神 金刃比羅宮
美多彌神社

祭神は、天児屋根命・熊野大神・巌島大神・大国主命・菅原大神・八幡大神・琴平大神・素盞嗚男命・天之水分大神を祭る。当社の歴史は詳らかではないが、延喜式神名帳にも記された古社である。天正年中織田信長の兵火にかかり焼失したが、文禄元年(1592)に至り和田道讃三が本殿を再建した。近世では神仏混淆となり牛頭天王と改称、神宮寺(得泉寺)と宮座もあって、宮座の長老が寺の僧侶と共に社務を掌握していた。その後神仏分離令により寺を廃止し、社名も八坂神社と改称神官が奉職することになったが、明治の神社合祀策により同40年(1907)に付近の村社5社と無各社3社を合祀し社名も旧に復した。社叢は8250uあり、しりぶかがし・あらかし・楠・榊等の樹林が広がっている。しりぶかがしはブナ科の常緑中高木で丘陵地などに生育するが、このように100本近くの樹林を形成する例は稀である。また分布上でも西日本に多いこの樹林の東限近くにあたる為に昭和48年(1973)3月30日に大阪府の天然記念物に指定された。 
                        堺市

逍遥トップページ