興福寺伽藍

  
阿修羅像
東金堂と五重塔
興福寺東金堂 (国宝)

神亀3(726)年聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願ってお建てに成りました。

創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされてました。

以来6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22(1415)年に再建されました。

正面7間(25.6m)側面4間(14.1m)寄棟造り、本瓦葺きの建物で、全面を吹放とし、木割が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。

堂内には本尊薬師如来像、日光・月光菩薩、十二神将像、文殊菩薩像、維摩居士像、四天王像、十二神将像(以上いずれも国宝)が安置されています。
興福寺五重塔 (国宝)

塔は仏教の祖釈迦の舎利(遺骨)おさめる基標です。

天平2(730)年に興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后がお建てに成りました。

初層の東に薬師浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経を安置していたと伝えられます。

その後5回の被災・再建をへて、応永33(1426)年頃に再建されました。

高さ50.1m、初層は三間で8.7m、本瓦葺きの塔です。

軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残してますが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れた、大変力強いとうです。

初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置します。
 
興福寺南円堂 (重要文化財)

弘仁4(813)年に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って建てられた八角のお堂です。

基壇築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝をまきながら築き上げたことが発掘調査で明らかになりました。

この儀式には弘法大師空海が深く係わったことが伝えられます。

現在の建物は寛保元(1741)年に立柱。

八角の一面は6.1m、対面径は15.5m本瓦葺きの建物ですが、その手法は極めて古式です。

本尊は不空羂索観音菩薩像、四天王像(いずれも国宝)が安置されます。
三重塔方面から眺める円堂 
興福寺北円堂 (国宝)

日本に存在する八角円堂のうち、最も美しいと称賛される堂です。

興福寺の創建者藤原不比等の一周忌にあたる養老5(721)年8月に、元明太上天皇と元正天皇がお建てに成りました。

治承4(1180)年の被災後、承元4(1210)年頃に再建されました。

八角も一面は4.9m、対面径は11.7m、本瓦葺の建物です。

華麗で力強く、鎌倉時代の建物にもかかわらず、奈良時代創建当初の姿をよく残しています。

内陣は天蓋が輝き、組物の小壁には笈形が彩色されています。

堂内には本尊弥勒如来像(国宝)、法苑林・大妙相菩薩像、無著・世親菩薩像(国宝)、四天王像(国宝)が安置されます。 
興福寺三重塔 (国宝)

康治2(1143)年に崇徳天皇の中宮が創建されましたが、治承4(1180)年に久居市、間もなく再建されました。

北円堂とともに興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦葺き。

鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の建築様式を伝えます。

初層内部の四点柱をX状に結ぶ板のに薬師如来像、南に釈迦如来像、西に阿弥陀如来像、北に弥勒如来像を各千体描き、さらに四点柱や長押、外陣の柱や扉、板壁には宝相華文や楼閣、仏や菩薩など浄土の景色、あるいは人物などを描いています。

東の須弥壇に弁財天像と十五童子象を安置し、毎年7月7日に弁財天供が行われます。 
中金堂再建の模型