塩飽勤番所
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塩飽勤番所跡 塩飽諸島は、古くから塩飽水軍の根拠地として全国に知られ、繁栄してきました。 豊臣時代以降、時の権力者たちは塩飽の船方650人に塩飽全島1.250石の領有を認める朱印状を与え、その代わりに命令によって海上輸送等の義務を負う御用船方として、塩飽水軍の力を御厨ら自らの権力統治に組み入れることになりました。 この船方衆は後に人名と呼ばれ、これらを束ねていたのが年寄りで、最初は4人の年寄りが交代で自宅に朱印状を保管し、塩飽に関する一切の政務を執り行っていました。 しかし、寛政の島治革命を機に、寛政10年(1792)勤番所がこの場所に新築され、人名の中から入札(選挙)で選ばれた3人の年寄りが、交代で政務を執るようになりました。 現在の建物は、万延元年(1850)に改築されたもので、明治以降は村役場、丸亀市役所本島支所として昭和47年(1972)3月まで使用されていました。 他に類を見ない人名という制度のもとで政務が行われた場所として貴重であることから、年寄りの墓と共に昭和45年(1970)に国の史跡に一括指定されました。 指定後の昭和52年(1977)に復元修理が行われ、それ以降一般に公開されています。 |
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